ピンチにスマイル勝利をゲット

馬鹿野郎お前俺は自転車に乗るぞお前

前置きが長い

 やけに足が回る日だった。

 

 平坦ではフロントをアウターに入れて少し踏めば原付を悠々追い越せるほどのスピードが出るし、高低差数十m程度の坂ならサドルに腰を下ろさず一息で登れた。去年の11月に怪我に見舞われ、一ヶ月のブランクを挟んで自転車に復帰して以来最高のコンディションだった。

 峠を目指して西へと走る自転車は前回訪れた時より5分程速く山麓に到着し、50km以上の距離を快速で飛ばしてもまだ衰えない足の軽さは、これから挑む山岳タイムアタックの好記録を期待させた。

 

 

 この峠のタイムアタックは普通に麓から山頂までの12kmで計測するパターンの他に、そこから2km登った先にあるコンビニの前から計測するパターンがある。その2kmの間に一つ、そしてコンビニの前にも一つ信号があることと、10km丁度の方がペース配分しやすいことから僕は後者のコースでよくタイムアタックをしていて、この日もそちらで測定することにした。

 コンビニの前では二人の自転車乗りが休憩をとっていた。自転車を降りて歩道に入り、二人がこちらに気付いたので軽く会釈をして店内に入る。走っている最中は大きな声で挨拶出来るのに、休憩中や自転車を押して歩いている時はどうも声がかけづらいのは内弁慶ならぬサドル弁慶とでも言えばいいのだろうか。

 緊急用の補給食を購入し、店先で一息つく。2kmとはいえ斜度が急な坂を登ってきたのだ、買い物を終えてもまだ息は整っていない。心拍が下がりきる前に出発したいが、足の筋肉を少し休めたいのも事実だ。どのぐらいの塩梅で出発するか迷っているうちに、二人組の自転車乗りの片方は帰路へつき、もう片方はいわゆる「おかわり」に行くことにしたらしく、お互い信号で別れて正反対の方向に走りだしていった。

 

 その時、麓の方から一台の自転車が現れた。その自転車は僕の目の前で「おかわり」に行った自転車を悠々と抜き去った。軽やかなダンシングに目を奪われた後、僕の視線は自然と彼の乗る自転車へと移った。知らないメーカーの自転車で、カラーリングもパーツもこだわっていることが伺えた。

 その瞬間、知らないメーカーにも関わらず、僕はその自転車に既視感、否、以前見たことがあるという確信を抱いた。しかしどこで見たのか。雑誌の特集だろうか? いや、確かインターネットで見たはずだ。Twitter? しかしフォローしてる自転車乗りが乗っている自転車は大体把握しているが、あんな通好みすぎるほど通好みな自転車に乗っている人は覚えがない。と、瞬時に脳内の引き出しを開け放ち、そしてその奥底から正解を引っ張りだした。

とある自転車漫画を描いている漫画家の先生の自転車だ。そう気付いた瞬間、落ち着き始めていた心臓の鼓動が再び早まるのを感じた。僕はその先生の大ファンであり、僕がロードバイクに乗るきっかけとなったのが、何を隠そうその先生が描いた漫画だったのである。

直に先生とおかわり君は見えなくなり、少しして冷静になった僕は自転車に跨がり先生を追いかけることにした。確か以前先生が公表していたベストタイムは怪我をする前の僕のそれより1、2分程速かったはずだ。僕が怪我から復帰した後のベストタイムは、怪我をする前より1分半遅くなっている。追い付ける道理はないが、こちらは2km先の地点から走り出せるというハンデレースだ。頑張れば山頂で休憩中の先生とコンタクトを取るくらいは出来るかもしれない。僕は信号が青になるのを今か今かと待ち続けた。

冬場の休憩後の走り出しは汗が冷えて非常に寒く感じる。しかし、この道の先を僕の人生を変えた漫画の作者がいると考えると、手足の指先まで熱い血が満ち満ちていくのを感じた。

 

コンビニから1km程は細かいアップダウンの続くコースになっていて、峠全体で一番スピードが出やすい区間だ。加えて、下りは登坂能力や身軽さは問われないし、その下りでつけた勢いを上りに活かせる分、体重が重くても不利になりにくい区間である。

サイクルジャージは本来の体型を隠すため判別は難しいが、顔のラインと比較的無着衣に近いフォルムの足回りから察するに、おかわり君は7、8kg、先生は10kgかそれ以上、僕より軽そうに見えた。スピードが出やすい区間であるということは、出遅れた僕がこの区間中に追い付くのは難しいことを示しているが、その反面、体が重く比較的平坦が得意な僕にとっては、全区間で一番有利なコースである。そのため、是が非でもここで差を詰めなければなるまい。普段は力を温存する区間だが、今回ばかりはギアを落とさずペダルを踏み続けた。

 

1kmを過ぎると本格的な登りが始まる。そこから9km続く平均斜度6%の坂の内、ここからの1kmはまさしくその6%前後の坂が続く。とはいえ、6%である。坂か否かと問われれば間違いなく坂だが、激坂か否かと問われれば間違いなく激坂ではない。体の重い僕でも軽いギアを数枚残したまま登れる斜度だ。

ペース配分に気を遣いつつも、先生との差を詰めるべくペダルを回していると、見通しの良い直線で一瞬おかわり君の姿が見えた。彼を早めに抜きされなければ到底先生には追い付くまい。足を動かしながら直線でチラチラと見える彼との距離が近づいているかどうか目測で確認する。

 

おかわり君との距離が徐々に近付いていることを確認した頃、サイコンの示す距離は2kmを超えていた。ここからは早くもこの峠で最も険しい区間となる。2、300m程の長く真っ直ぐな坂が数十mの平坦を挟んで2連続し、それらの坂の斜度は10%を超える。峠一番の激坂である。

合計500m程のため僕でもなんとか登れるが、距離が10倍あればグラン・ツールの山岳ステージの勝負所になってもおかしくない斜度である。二番目に軽いギアまで落とし、息が上がらないように気をつけて登っていく。

10km/h近くまで落ちたスピードで着実に登りながら、僕は2つのことに気付いた。

一つは、直線の坂に入ったことで先生がはるか遠く、恐らくタイムにして1分以上離れているが視界に入ったことだ。僕が6%の坂を登っている時に先生は10%以上の坂を登っていて、先生は直に登り終えるわけだから、見た目以上の差はあるが、とにかく視界に入るまで差を詰めた。

もう一つは、おかわり君が山頂まで登り切る気であるとすれば、確実に僕よりヒルクライムに慣れていないということだ。彼はこの激坂を遮二無二ダンシングで登っている。身軽な体と高い出力で激坂も苦にせず進むようなプロ、あるいはそれに準じたレベルのクライマーならおかしい行為ではないが、僕に追いつかれるレベルならここでダンシング、しかもいわゆる「休むダンシング」でなく自転車を大きく揺すって踏み込む「進むためのダンシング」は体力を過剰に消耗する自殺行為と言えるだろう。現に彼よりはるかに速い先生もシッティングで登っている。

 

この二つを受けて僕はおかわり君を追い抜き、先生に追い付くための作戦を組み上げる。

確かに先生との距離は縮んでいるが、斜度のキツイこの坂で追い付こうとするのは得策ではないだろう。体の重い僕がここでペースを上げても、蓄積される疲労と得られるスピードが見合わない。そこで僕は先生よりはるか手前、僕の4、50m先を走るおかわり君に照準を合わせた。

一旦先生を追う作業は置いておき、失速することが予想される彼の今の速度に合わせた一定のペースで登ることを心がける。そうして激坂区間を最小限の体力消費で登りながらもおかわり君との差は徐々に詰めていき、斜度が緩い区間に入ると同時に追い抜く。斜度が緩くなれば体重の影響が少なくなるため、そちらでペースを上げるほうが先生に追い付ける可能性は高いだろう。

 

その後、目論見通りおかわり君は失速し始め、ついには足を着いて静止してしまった。予定より早くおかわり君を追い抜いた僕は再び先生の背中を追いかける。激坂区間を過ぎると斜度は緩くなるが、カーブが多くなるため先生の姿は中々見えない。5km地点付近の直線でやっと先生の背中を捉えた。しかし、その後僕は自分の息が切れ始めているのに気付く。先生を追うのに夢中になってペースを上げすぎたためだろう。

5km地点以降は基本的に斜度はあまりきつくないが、道中数十mの激坂が連続する。僕は激坂では休むダンシングで乗り越え、緩い坂で出力を強める作戦で先生との距離をゆっくり詰めていった。

 

7km地点を超えてもきつい登りが続く。先生との距離は20mも無いが、そこからが縮まらない。そもそも先生のペースは本来の僕より速いペースであり、そして僕自身追い付くまでにそれより更に速いペースで登ってきたのである。疲労が蓄積して痙攣しそうな足に鞭を打って進みながら、僕は先生と話すために差を縮めるという当初の目的を忘れ、自転車乗りの本能から、先生を追い抜くための作戦を構築し始めていた。

8.5km地点までは激坂が頻発し、追い付くのは難しい。しかし、残りの1.5kmは斜度が緩く、難所も少ない。そこでスパートをかけ追い抜くのが唯一の勝ちへの道だろう。それまでに体力を回復させるため僕は足を緩め速度を落とした。先生との差は少しずつ開くが、自分のリズムは崩さずに登っていく。

 

そして迎えた8.5km地点手前、最後の難所をダンシングで乗り越えようとした時、「カチャッ」という音が聞こえ、僕は体勢を崩した。放心しながらも、転ばず両足で立っている事にふぅと安堵の息を吹き出すと、左足の痛みに気がつく。左足はペダルではなく地面を踏んでおり、ふくらはぎが痙攣しているのを感じる。どうやらダンシングでペダルに荷重をかけた際、不意にギアが切り替わったことでペダルを踏み外し、長時間のペダリングで緊張した筋肉が不測の動きをしたために足をつったらしい。自分の整備の不手際と、よりによってここで発現したメカトラブルを嘆く。

患部を目視で確認して、筋肉が変形して戻らない程ではないと判断し、もう一度ペダルを回し始める。この程度ならば軽いギアでのペダリング運動でほぐせば戻るだろう。しかし、不慮の事態に休んで鎮めたはずの心拍がまた高まってしまった。そして、先生の姿はもう見えない。

 

 痙攣が収まったことを確認し、不測の事態で乱れた息を整える暇もなくペースを上げてスパートをかける。今までと比べれば斜度は緩いが、平均して5%近くあるだろう。タイムロスを挽回するために一層強く踏み込む。平坦路と変わらない程のスピードで進む自転車に、更に推進力を与えるべくトルクを掛け続ける。先生もスパートをかけているのだろう、9km地点を過ぎてもまだ見えない。

遮二無二ペダルを回し、残り500m地点にある短い直線で先生の背中を捉える。距離は40m程だろうか。実力差を考えれば残り500mで40mの距離を縮めるのは不可能だろう。しかし本能でペダルを回し続ける。

酸欠で視界は暗くなり、足は鉛より重く、車体から無駄を削ぎ落とした地上で一番軽い自転車であるロードバイクが、今は砂袋を積み上げた台車のように感じる。

辛い、苦しい、自転車を投げ出して倒れたいという生への希求と、楽しい、気持ちいい、どこまでも登り続けたいという死への渇望が1mlも違わず同量、心に注ぎ込まれていく。

オーバーヒートした脳がとろけていくような快楽が、電気信号を通じて全身に広がるのを感じながら、僕の目は自転車を降りる先生と、号線最高地点の看板を捉えた。

 

目が合い、お互い息を切らしながら会釈をする。いくらサドルの上でもこれだけ息を切らしていては声はかけられない。自転車を降りて息を整えながら声をかけるタイミングを探った。

「違ったらすいません、もしかして漫画家の先生ですか?」

どこか白々しく、声をかけるタイミングを探っていた割に洗練されていないそのセリフに、先生は笑顔で頷いてくれた。僕は気さくな方だとわかって安心し、先生だと気付いて追いかけたことや、ファンであることを伝えた。憧れが極まると恋愛感情に似た性質になるのか、照れと嬉しさが混在した感情が込み上げ、全力の無酸素運動で熱くなった顔が更に上気するのを感じた。

それから、自転車のことや先生の作品のことについて少し話し、帰る際は僕は下りが遅いので先生に先に下ってもらった。しかし前が車で詰まってしまいほとんど一緒に下る形になり、結局麓の別れ道でもう一度別れの挨拶をした。

 

帰り道の平坦路はインターバルトレーニングを兼ねて信号毎に速度を上げて追い込みながら走った。今回のヒルクライムのコースでは、タイムアタックの前以外は補給をしないようにしており、普段は途中でハンガーノックに近い状態になるのだが、今日は最後まで足が回った。糖質と脂肪をエネルギーにして走るというのは自転車乗りにとって常識であるが、嬉しさもエネルギーになるのだろうか。

家までの距離が10kmを切ったことを確認し、肉体を追い込むインターバルトレーニングを切り上げ、乳酸を散らすためにペースを落とした。余裕ができた僕は辺りを見回す。すっかり日は暮れて、夜空には満月に一日二日程達していない間の抜けた形の月が浮かんでいる。冷たい風が通り抜け、唯一外気に晒している顔を冷やしていくのを感じながら今日のことを思い返して整理する。この出来事を誰かに伝えたい、でもTwitterやLINEではこの色んな感情を伝えきれない……

 

そうだ、ブログをやろう。

 

という訳でブログを始めました。

とりあえずブログらしく晩御飯の写真をアップロードします。

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